太った中年

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老人の教訓

2000年の初頭、初めてフィリピンへ渡航した。

当時、フィリピンパブ・オーナーだった友人から代理で現地プロモーターへの支払いをしてほしいとの依頼だった。急な話ながら予定が空いていたので理由を聞くこともなく承諾した。

2泊3日だけど実質は1泊の旅行。名古屋の小牧空港からノースウエスト航空に乗り深夜マニラ空港へ到着した。パームオイルの臭いが鼻につき、空港職員から「キモチ、キモチ」とお金をタカられた。空港を出ると旅行代理店の現地人スタッフが待機していて車でマニラ市内のホテルへ直行、チェックインを済ませ部屋に入るとそのままベッドで寝た。

翌朝目覚めると暫くして部屋の電話が鳴った。フロントに現地プロモーターが来たという。日本語を話す現地人だった。早速、現地プロモーターを部屋に呼び寄せ友人から預かった現金を渡すと、そいつは友人に国際電話を掛けた。話の内容はどうも友人が新しい現地プロモーターに切り替えるようでそいつが部屋を出る際、継続するよう頼まれた。でも関係のないことだから無視した。そのときはフィリピンやフィリピンパブにまったく興味がなかった。

さて、友人の用事を済ませると後は暇だ。1Fにあるレストランで朝食を済ませコーヒーを飲んでいると日本人の老人から「暫くご一緒して頂けませんか」と声を掛けられ、返事をする前にその老人はテーブル向かいの席に座り、自己紹介をしてから人生を語り始めた。

老人は静岡県熱海で小さな旅館を営み、現在は息子夫婦に旅館を任せて隠居しているという。なるほど語り口が品のいい人だった。「では何故何不自由のない老人がフィリピンに」素朴な疑問を投げ掛けると突然、品のいい老人のボルテージが一気に上がった。

その当時、65歳になるその老人は15年前の50歳のときに病気の妻に先立たれた。そして友人が気遣って熱海にオープンしたばかりのフィリピンパブへ誘った。老人は妻に先立たれた寂しさも手伝い、ほぼ毎晩そのフィリピンパブへ通うようになった。

老人は熱くフィリピンパブ通いを語った。長い闘病生活の末に先立たれた妻を思う苦しみがどれほどフィリピンパブで癒されたことか、と。

そうこうして数ヶ月が過ぎるとそのフィリピンパブにある新人タレントが入店した。老人はそのタレントに入れ込み同伴デートを重ねた。そしてそのタレントは妊娠した。老人は再婚を真剣に考え、息子夫婦に打ち明けた。ところが息子夫婦はワケのわからないフィリピン人女性に旅館を乗っ取られると思ったのか猛反対されて結婚は出来なかった。

ここから老人の人生が暗転する。熱海は狭い町、老人の愛人フィリピーナの妊娠は近所で噂になり、愛人が原因の息子夫婦との不仲もあって結局、老人は家を追い出されアパートで一人暮らしをすることになった。愛人フィリピーナはフィリピンへ帰国して子供を出産し、老人は毎月仕送りをすることになった。

子供が生まれてから半年に一度老人はフィリピンへ行って毎月の仕送りとは別に養育費を渡した。それから老人のグチが始まった。アパートで一人暮らしをしても最初は楽しかった。フィリピンパブへ行って別のタレントと同伴したり、現地へ行けば女遊びもしたのだ。しかし数年経つと現地の愛人フィリピーナから何かにつけお金を要求されるようになった。

「お父さんは病気、お母さんはケガをして入院」「姉夫婦が失業した」等、仕送り額も月3万円から徐々にアップした。老人は半年に一度の現地訪問で家族だけでなく親戚までが仕送りをアテにして仕事をやめていたことを知る。

子供が成長して学校へ行くようになると金銭要求はさらにエスカレートした。学校には老人と同じケースの子供が何人かいて母親同士が見栄を張り合うのだ。「あの子はナイキのシューズを2足持っているから4足買ってほしい」、そう言われたときは開いた口が塞がらなかったと老人は嘆いた。

そして60歳を過ぎると夜の生活がダメになり、フィリピンパブ通いをやめ、毎月の仕送りも苦痛になったとボヤいた。半年に一度の現地訪問も成長する子供に会うことが目的だったけれど愛人が子供に日本語を教えなかったので会話ができない。現地で夜遊びもしないからお金を渡すだけになった。

「ところで何故合い席を」そう聞くと老人は「実はこのレストランで愛人と子供と待ち合わせをしていて一人でいると愛人が年金を無心するから、それが嫌で」と答えた。今度は老人から「あなたは何故フィリピンに」と聞かれ、「友人の用事です」と返事した。

すると老人は「それはよかった、フィリピンパブのタレントには気をつけてください。私の人生を教訓にしてください」と語るや愛人と子供がやってきた。老人は「この子は私の子に見えますか」そう言い残して去って行った。

それから数ヶ月後、地元に新しいフィリピンパブがオープンした。フィリピンパブ・オーナーの友人に誘われ一緒に行った。そこである新人タレントと恋人ルンルンになり半年後、再びフィリピンへ渡航した。

老人の教訓などすっかり忘れていた。

written by bibbly
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